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シマトネリコの日記
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歴史
自由の女神像
自由の女神像

ベースジャンピングの歴史は1900年代初頭から断片的に始まった。1912年にフレデリック・ロー (Frederick Law) がアメリカ・ニューヨークの自由の女神像からジャンプした。また、スロバキア人のステファン・バニッチ (Štefan Banič) が、自身の発明した近代的なパラシュートをアメリカの特許庁とアメリカ軍に宣伝するため、ワシントンD.C.にあったビルの41階から降下した。1966年にマイケル・ペルキー (Michael Pelkey) とブライアン・シューベルト (Brian Schubert) が、ヨセミテ渓谷にある断崖、エル・キャピタンから降下した。1976年にはジェームズ・ボンドが活躍する映画『007 私を愛したスパイ』の冒頭シーンを撮影するため、スタントマンのリック・シルベスター (Rick Sylvester) が、カナダのアスガルド山からジャンプした。これらのジャンプは、パラシュート降下の新しいスタイルを系統的に模索するようなものではなく、1回限りの散発的な実験であった。

頭字語である「BASE(ベース)」は、映画制作者のカール・ボーニッシュ (Carl Boenish) によって創られた。彼は1978年にエル・カピタンで初めての降下を映像におさめた。自由落下する際のトラッキングと呼ばれる(空中で体を水平に保ち移動したりスピードを調節する)テクニックと、ラムエアパラシュート(ラム圧パラシュート)で降下する様子を収めたこの映画は、近代のベースジャンピングの定義づけに大きな影響を与えた。この映像がきっかけとなって、宣伝や映画撮影ではなく、レクリエーションスポーツとしてのベースジャンピングが行われるようになった。また、映画によってスカイダイビング愛好家たちの間でベースジャンピングが広く人気を得た。ボーニッシュは、1984年にノルウェーの断崖で亡くなるまで、ベースジャンピングの映画や雑誌を発表し続けた。このころまでには、ベースジャンピングの趣旨は世界中のスカイダイバー達に広まった。
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
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